伊東深水 SHINSUI ITO

  • 「春宵」(しゅんしょう)
  • 「銀河祭り」(ぎんがまつり)

浮世絵の正統を受け継ぐ近代美術画、風景画を代表する巨匠である。

■画風

大正時代の後半、20代の若さですでに美人画家として、日本中で絶大な人気を博していた伊東深水。彼は、明治末期から大正にかけて在来の木版画に対抗して起こった"創作版画"運動の流れのなか、従来の絵師、彫師、摺師の分業による技法を基盤とした“新版画"運動を展開。長く運動の中心的存在として版下絵の制作を続け、近代の日本画壇に浮世絵版画の伝統を復活させた、大家と呼べる存在です。
深水の作品は、当時の美人画に多く見られた代表的な麗美さを主眼としたものとは、一線を画し、自然美と女性美を組み合わせながらも、彼独特の感性で女性の内面を深く掘り下げ、他の追随を許さない、いわゆる"深水美人"を創造し、確立した画期的なものです。
高度な写実的技術を基盤とした緻密な描写は、大衆に広く支持されると同時に、専門家にも高く評価され、画壇に一時代を築きました。

初期の美人画、花鳥画、風景画、そして後期の艶やかな肖像画。常に新たなる試みを続けながら風俗画と呼ばれた美人画の地位向上に苦闘を続けた巨匠。それが伊東深水なのです。

■プロフィール

1898年

東京に生まれる

1907年

家計を助けるため小学校を中退し看板屋の住み込みとなる。

1908年

東京印刷株式会社の活字工となる。この年から水彩画を吉川恭平に、日本画を中山秋湖に学ぶ。

1911年

日本画家・鏑木清方に入門。深水の雅号を与えられる。

1912年

14歳で第12回巽画会展に《のどか》が初入選。

1914年

第1回院展に《桟敷の女》が入選。

1915年

第9回文展に《十六の女》が初入選。

1916年

第3回院展に《乳しぼる家》が入選。新進画家として注目を集めるが、以後数年間は生活のため挿し絵に専念せざるを得なくなる。

1927年

自宅に深水画塾を設立。最盛期の塾生は500人にも及んだ。第8回帝展で《羽子の音》が特選。

1929年

第10回帝展で《秋晴》が特選首席となる。

1939年

銀座三越で【伊東深水木版画展】を開催。

1948年

前年度日展出品作《鏡》で第4回日本芸術院賞受賞。

1958年

日展理事

1970年

勲三等旭日中綬賞を受賞。

1972年

74歳で死去。

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