菱田春草 SYUNSOU HISHIDA

  • 「黒き猫」(くろきねこ)

近代日本画の開祖と言える3人の内の1人(横山大観・下村観山)。
その象徴的とも言うべき余白を伴った装飾性より、春草は当時「今光琳」と呼ばれた。春草のあふれる画格の高さは圧倒的なものがある。

■画風

明治維新で著しく地盤が沈下した日本画壇を復興させると同時に、日本画近代化への道を拓いた変革者、それが若くして世を去った天才日本画家・菱田春草です。

当時、春草が試みた日本画近代化の業績で忘れてはならないのが、横山大観、下村観山等と共に創始した、"朦朧体"画法です。この技法は、それまでの日本画に見られた形式的な描線による表現、全てを線で表現する画法を脱却し、線だけに頼らない絵画表現、物の大小や奥行きなどを絵の具によって表現しようとする、当時としては画期的な方法でした。線を全面に押し出さずに空間描写、雰囲気描写を行い、それまでの伝統的な技法とは全く違った近代的な画法による日本画の創造。春草達の"朦朧体”画法は、当時の保守的な画壇の猛烈な拒絶反応にあいましたが、彼等はあくまでもこだわり続け、日本画の新しい表現方法として定着させたのです。

明治という時代に、日本と西洋という全く異なる文化の狭間で、そのどちらにも絶えず目を向け、日本の近代化のあり方を絵画を通して世に問い続けた春草。彼の作品には、時代を超えた独創者としての苦闘と結実の歴史が見え隠れし、観る者の魂を揺さぶるのです。

■プロフィール

1874年

長野に生まれる。

1889年

東京美術学校助教授・結城正明に日本画に基礎を学ぶ。

1890年

東京美術学校入学

1895年

東京美術学校絵画料卒業。卒業制作「寡婦と孤児」が最優等となる。翌年より開催された日本絵画協会絵画共進会に第1回より出品。銅牌、銀牌等連続受賞。

1900年

この頃より背景や人物描写にいわゆる無線描法を試み、"朦朧体"として美術界より賛否両論の評価を受ける。

1904年

岡倉天心、横山大観、六角紫水と渡米。ニューヨーク、ボストンなどで、作品展を開催し好評を博す。

1907年

国画玉成会創立。評議員となる。第1回文部省美術展覧会で「賢首菩薩」が二等賞となる。

1908年

網膜炎を患い絵筆を持つ事を禁じられる。

1910年

第10回巽画会展覧会に「雀に鴉」を出品、二等賞受賞。作品は宮内庁買い上げとなる。

1911年

8月下旬に失明。9月、病状が急変し死去。38歳の若さであった。

当サイト内で使用している全ての画像、文章にはそれぞれ著作権、版権を有しています。無断での転用、引用は禁じます。