東山魁夷 KAII HIGASHIYAMA

  • 「山湖澄む」(さんこすむ)
  • 「春愁」(しゅんしゅう)

戦後日本において、厚塗の技法で西洋画と日本画の融合に成功した画家。そして、日本画史上最も多くのファンを獲得した画家。日本美術界の重鎮として、名実ともに日本画壇を代表する巨匠である。

■画風

木曽川沿いにテントを張りながら旅行をして、御嶽へ登った東京美術学校1年生の時、東山魁夷は厳しく雄大な自然の虜になりました。それ以来魁夷は国内ばかりか、ヨーロッパや中国へも旅行の環を広げました。

 しかし魁夷が本当に純粋な気持ちで自然を見る事が出来るようになったのは、戦争中、召集を受け熊本城へ行軍したときでした。自己の未来を、生命を否定せざるを得なかった時、初めて心が純粋になったのです。かつての師結城素明に言われた「よく自然を見ることだね。心を鏡のようにして。」という言葉を本当に理解したのでした。
1974年日展に出品した「残照」で東山魁夷は千葉県鹿野山を、現実の風景というよりも、作家自身の心の姿として写し出しました。自然を主観的に表現する事は、自然の形象ではなく生命をとらえる事でした。風景画家としての東山魁夷の進路がこれで定まり、そして1950年の「道」で魁夷の評価は決定的なものになりました。

彼の旅の環は再び北欧、ドイツ、オーストリア、中国、京都、奈良と東西洋を循環しはじめ、それらに取材する作品が次々と生まれました。そして皇居新宮殿壁画、唐招提寺障壁画、今上天皇即位後の大嘗祭のための悠紀屏風などの制作を依頼され、国民画家とまで呼ばれるようになっていきました。

東山魁夷は大きな声で喚起したりしません。心静かに感じるものを素直に表現するだけです。だから魁夷は、異様なものや誇張されたものには目を向けません。彼が目を向けるのは、誰でも知っていること、何処にでもあるもの、けれども心澄ませる人の耳にしか届かない自然のささやきです。

東山魁夷は語ります.「私はずっと以前から自分は生きているのではなくて、生かされていると感じる。私の見る風景、私の相対する風景の中に、私の心につながる大自然の息づかい、鼓動が聞こえる。
山の雲は雲自身の意志で湧き昇り流れるのではなく、また、波は波自体の意志で打ち寄せ、響きを立てているのではない。宇宙の根本的なものの動きにより、生命の根源からの導きによるものではないだろうか。」

西洋に学んだリアリズムの技法を研ぎ澄まし自己の中で昇華し、独特の無常観に満ちた自然を描くことによって、逆説的に生きる事を表現し続ける魁夷。厚塗りの技法を用い、象徴化された、ある意味で装飾的な表現技法を駆使した魁夷の作品は、極めて現実的でありながらも<もののあわれ>を風景にとじこめた、幻想的な味わいを合わせ持っています。東山魁夷にとって、「絵を描くことは祈ること」であり、類い希な和魂洋才の才能の開花ともいえるものです。

■プロフィール

1908年

横浜に生まれる。

1926年

東京美術学校日本画科入学。

1929年

最初の展覧会出品作品「山国の秋」が第10回帝展入選。

1931年

東京美術学枚卒業後も研究科に在籍。結城素明に師事し、魁夷を雅号とする。

1933年

研究科修了後、欧州美術研究のため渡欧。翌年ベルリン大学哲学科美術史部に入学。

1937年

神戸市元町の画邸で初個展「渡欧スケッチ展」を開催。

1947年

第3回日展で「残照」が特選。

1950年

第6回日展に「道」を出品。この頃から社会的に認められ、画壇での地位も確立する。

1956年

「光昏」で第12回日本芸術院賞受賞。

1959年

東宮御所の壁画制作を手掛ける。

1965年

日本芸術院会員

1989年

完成した新宮殿壁画r夜明けの潮」で第10回毎日芸術大賞受賞。文化勲章受章。

1974年

日展理事

1982年

71年より制作を開始した唐招提寺障壁画が完成、奉納式を行う。

1990年

長野市城山公園内に長野県信濃美術館・東山魁夷館が開館。

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